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下記に掲載しているのは、真の道内での研修会での話しを収録したものです。もしかしたら意味がわかりにくい点もあるかもしれませんが、ぜひご一読頂き、何かの参考となれば幸いです。
テーマ「霊主体従」…己への帰依
みなさんこんにちは。
さて、本日の講義の表題は昨年の祖霊殿祭のお伝え以来、たびたびご神示で示されております「霊主体従」ということでありますが、おそらくこれからの世の中にもっとも大切になってくると思われる事柄であろうと思います。
「霊主体従」とは読んで字のごとく「霊」が主で「体」が従、つまりこの世のすべての物はその本体は「霊」であって、キメの粗い物質によって形作られた「体」というものはその本体である「霊」に従属した存在であるという意味に解釈できます。
つまり、我々が目にし、耳にする現実の世界というものは、あたかもそれが全てであるかのように我々の目には映るけれども、じつはその現実の世界を形づくっている元々の設計図やプログラムと言えるようなものは「霊」が担っているということになります。
さて、「霊」というものについては、真の道の前身である千鳥会が発生する以前から神霊研究会で様々な研究がなされてきましたが、その本質についてはいまだ解明されておりませんし、またその全容を我々が理解できるものでもありません。
一例として「霊」も物質であるという考え方もあります。これは光の分子よりはるかに細かい超微粒子から「霊」が成り立っており、その微粒子同士の微妙なエネルギーの変化によって様々な霊体を形づくっているという考え方です。その微粒子があまりにも小さいため、粒子の粗い世界に住んでいる我々にはあたかも存在しないように見えるだけというわけです。この考え方からすれば、「祈り」というものはこの微粒子に何らかのエネルギーの変化を与えること、あるいは、あるエネルギーが蓄積された微粒子の集まりそのものを送り出したり、受け取ったりすることであるとされます。しかもこの微粒子は何もないと思える宇宙空間をもくまなく覆い尽くしているので時空に関係なく瞬時にそうしたエネルギー変化を送ったり受け取ったりすることができるというわけです。まるで高速回線を使ったインターネットで情報ファイルをやりとりするみたいですね。
まあこれは一例に過ぎませんが、現実世界においても情報の伝達機能が未発達あるいは故意に統制された社会では、為政者による様々な不平等や不正義が行われやすいという観点から見ると、インターネットの情報処理など比較にならない「霊」情報の速さというものが今後の人間社会にいかに影響を与えるかということは言うまでもないことのように思えます。つまり、平たく言えば「ゴマカシが利かなくなる」ということですね。
「霊」が物質であるかどうかはともかくとして「霊」というものが潜在的に持っているそうした情報伝達能力というものは、「霊主体従」の世に移行していく中でこれからの社会変化にきわめて重大な影響を及ぼすと考えられます。
さて、では真の道のご神示から「霊主体従」についてピックアップしてみましょう。
1.止の年合同祖霊殿祭
「・・・すでに伝えし如く気が大きく変わります。それはこちらでの建て換え建て直しの現世への写しでもあります 体主霊従の逆転なす様でもあります 霊主体従すなわち和世の根幹となす事です 神々の配置換え等計画通りであります・・・」
このお伝えでは、すでに神霊界においては再構築再編成がどんどん進んでおり、これまで荒魂的な部門を担当していた神々が、一転、和魂的な部署に配置転換が行われている様子が伺われます。そしてその動きが徐々に現世の我々にも影響を及ぼしつつあるということです。これまで絶大な力のあった「荒魂の神」が「和魂の神」に変わるということは大変大きな変動といえます。この影響は少なからずこの現世にも及んでいると思います。我が国でも金権実力型の政治家が後退し、きわめて情緒的な理想家が首相になるというこれまでにない変化が起きていますし、最近では、金権実力型を絵に描いたような政治家に批判が集中し、それを国民の多くが支持するという皮肉なことが起きていますね。こういうことも神霊界の動きと関連があると考えて良いのではないかと思います。
2.止の年月宮秋季大祭
「人の世は 理智に驕りて情に溺るる故に正邪糾わせる有様なり・・・人ら霊主体従ににぎたまの輪たれと」
現世の人間が、相も変わらず荒魂中心の行動をやめることが出来ないでいる様をあらわしています。直毘・和魂・荒魂の三魂のバランスが崩れているために、何を中心に行動をするべきかを見失っているといえるでしょう。その象徴があの米国同時多発テロです。アメリカは体主霊従を絵に描いたような国家(言わば強いもの勝ちの国)ですからその象徴であった世界貿易センタービルが崩壊するのを目の当たりにして誰もが物質文明の崩壊を感じざるを得なかったと思います。しかしテロを起こした方もイスラムの平和的な教えを曲解してそれを利用し自らの荒魂的欲求を満たそうとしただけ(言わば我よし主義)であり、両者は同じ土壌で育った陰陽の兄弟とも言えます。兄弟げんかは他人同士より凄まじいと言いますが本当ですね。お互いに正義を主張して人殺しをしているわけですから、常に被害者となる弱者、とりわけ女性や子供には本当に不幸なことと言えます。この状態を沈静化出来るのは女性の和魂力、とりわけ宗像三女神の持つ強い和魂力です。弟というものはだいたい姉に弱いものですが、宗像三女神といえば神々の中でも最長老格の三人の姉神ですから絶大な力があります。弟たちの兄弟げんかもいよいよ宗像三女神の登場によって沈静化させられるのは遠いことではないでしょう。このアフガン会議においても有能な女性が見事なまとめ役を果たしました。こうこともその一例といって良いでしょう。宗像神は剣から生まれた和魂力です。古い時代を断ち切って新しい時代を切り拓く力です。真の道では平成になってから繰り返し宗像大神にお祈りしてきたわけですが、ここに来てそのみ働きがもっとも重要になってきたわけです。行き詰まった体主霊従の世の中を変化させて行くには、女性の持つこの宗像力がどうしても必要になってくると思われます。これは軽々しく言えないことかも知れませんが、このような大変動期にあって日本の皇室に姫皇子がお生まれになったということもそうした何かを象徴しているように思えてなりません。
3.合の年新年祈願祭
「・・・喧騒に邪気争気交わり戦火の地あらば笑みに喜び満ちあふれる処ある如し 大土その地気霊気歪みなすを正すに要なる年なり 人心同じくに物に勝る知る年なり 中心帰一 霊主体従」
前段においては、この地上における国や地域によってその状態があまりにも差がありすぎることが指摘されています。同じ地球上に住む人間の営みでありながら、ある地域や国に偏って経済力と富が集中し、またそれに伴って消費するエネルギーにも極端な差があること、さらにその不調和をめぐって国や地域間で紛争が絶え間なく起こっていることは大きな問題といえます。民族というものは地の気に芽生える人草ですからその地気に応じてそれぞれの文化や宗教が生まれてくるのが当然ですが、その地気そのものが地域によって大きな差異があるわけです。これまでのご神示でも、天地開闢の時に神とともに3つの大きなブラガ(悪神・魔神)が地上に降りたとあります。人間の歴史は、このブラガの気を強く受けた民族や国家が地上の恵みを独占しようとして侵略と殺戮を繰り返してきた歴史であるとも言えます。神の恵みというものは本来、万人に等しくあまねく分配されるべきものですが、体主霊従の世では「強い者勝ち」や「我よし主義」の人々が権勢をふるっていたため、本来の神の恵みが正しく人間に及ぼされていなかったわけです。地球が地の気、霊の気の歪みを修正するということは、こうした体主霊従にひずんだ状態を修正するということです。こうなるとどうしても人の争気に呼応する地震や噴火などの天変地異を思い浮かべてしまいますし、人もまた「物に勝るを知る」ともなれば、あたかも今年、地球が身震いを起こして地上の多くの物が破壊され、これまで富の恩恵に浴してきた人々が、否が応でも「物のない生活」を強いられる姿を思い浮かべてしまいます。しかし、現実の地震が起きてみんなが同じように苦しみを味わうということよりも、むしろそれよりもっと恐い日常生活的なもの、すなわち成長が行き詰まった経済の中で、不況による企業の倒産、既得利権の喪失、失業、一家の大黒柱の死、家庭の崩壊といった身近な問題から、個人それぞれの「体主霊従」が崩壊していくことが考えられます。当然のことながらこれまで恩恵に浴してきたものが大きいほどそれを失う痛みも大きいわけです。ですから霊主体従への転換によって偏りが是正される差異を痛みと感じるかどうか、またその程度も人によって様々ということになります。
4.合の年表宮新年祭
「中心帰一即ち己への帰依なり 然るに自らの成り立ちへの感謝にして 祖をして霊をして神へと通じる霊主体従の道筋 神への道のりなり 真中輝きて人の運気を開くものぞ」
さてこのように個人差がある既得の恩恵や利権が失われていく中で、我々がどうやってこれからを生きて行けば良いのかという問題があります。ご神示では、「中心帰一即ち己への帰依なり」と明快なお言葉で示されています。万華世界というような大きな単位の視点で中心を捉えるのではなく、むしろ自己の中に中心を見出すことの重要性を言われています。つまり今我々がここに存在するには両親が必ず必要ですし、その両親をはじめとするご先祖様がいなくては絶対に人間として成り立ちません。私たちの先祖から本家へ、その本家のまた本家という風にたどっていきますと、必ず行き着くのは天皇家です。いわば天皇家は日本の総本家と捉えて良いわけですね。ですから皇室には苗字がないわけです。自らの中心帰一が全体の中心帰一にもつながるということになりますね。また霊統で言いますと、胎児に魂が宿るには守り主、守り神の力が必要でありその縦の道筋はやがては真大神に到達します。言うなれば、我々の命は神から授かった命であるということです。そして私たちの命の中心には偏りなくあまねく真大神の恵みが宿っているのです。この私たちの命の中心にある真大神を輝かせてこそその人の運気が開けていくことになるのです。これが己への帰依です。「体主霊従の世」では、他から奪うことでしか恩恵にあずかれないと錯覚して互いに奪い合ってきましたが、「霊主体従の世」では、神の恵みがすでに自分の中にあることをどの程度まで気付くことが出来るかでその人の運命が決まってしまいます。そして自分で気付いた神の恵みは決して奪われたり奪ったり出来るものではなく、むしろ自らが他に恵みを分かつつまり与えることでしかその人の運気が開いていかない世の中に変わっていくわけです。すなわち「霊主体従の世」とは、奪う人は排斥され、与える力の大きな人が自然に人の輪の中心となっていく世の中なのです。これこそ「にぎたまの輪」と言えるでしょう。
5.合の年節分祭
「真の道のり五十路を読みたり 今の年己への帰依即ち三魂の調和に中心帰一なり 宇なる真中より発する力それぞれのまもりとなり大土へ己へと顕現す その道筋への感謝が明日への道また開くものなり」
さてこのご神示では、私たち組手がこれからどうすれば良いかが明確に示されています。大きく世の気が変わるこの時期に、奇しくも真の道は創立50周年という大きな節目を迎えることになりました。そしてこの期にあって、真の道組手は他に先駆けて「己への帰依」を推進せよと。さらに続けて「己への帰依」とはすなわち「三魂の調和」であるとおっしゃっています。三魂を正しく調和するということは、具体的にはその順位順列を間違えないということです。つまり、直毘(神性)と和魂(霊性)と荒魂(肉体)がそれぞれの役割と順位を保って正しい姿で調和しているかどうかを自分自身で確かめることが必要というわけです。今の自分を運命付けている根元の力に回帰すること、つまりこれが「己への帰依」となるわけですね。
大宇の中心である真大神から発する根元の力は、四十八柱の大天津神宇宙(我々の住む宇宙はフニマス大神と申し上げます。)、その中にある銀河系宇宙、その中の太陽系、太陽から生まれた地球、さらに地球上に生まれたたくさんの生物(人間もそのひとつです。)へとその順位に従って様々な「まもり」の力となってあまねく及んでいます。我々人間がその力の伝達経路や順位を取り違えてしまうと、大神のまもりの力は正しく伝えられなくなってしまうわけです。我々は、真大神から授かった命によって生かされているわけですから、その道筋を良く知って今ある命に感謝しなければなりません。では具体的にはどうすれば良いのでしょうか。感謝の心を形にするには、まず生きている親兄弟や祖父母、曾祖父母、そしてお世話になっている周囲の人々への感謝を形にすることです。日頃出来なかった親孝行に家族みんなで温泉旅行に出かけるというのも良いですし、久しぶりに息子や娘を連れて親の実家や本家に顔を出すというのも良いですね。お盆休みに親戚が集まってお墓参りのあとワイワイやるのも良いことです。また日頃お世話になっている人をおいしい店に招待したりということも今年はぜひ実現したいことです。そして、それと併行して自分に命を伝えてくれた先祖のみ魂達への感謝のみ祭を捧げること。そしてさらに自分自身のたましいのみ祖である守り主、守り神への感謝のみ祭を捧げることが今年の最大のポイントになって来るわけです。これらのことを実行することで、真大神から縦に流れるまもりの力の伝達経路が修正されて我々の明日への生きる道がまた開かれていくわけです。
「まもり」の力は、神・霊・祖・人のはざまで三様にあらわすことができます。神・霊のまもりは直毘の「守り」であり、天地の神律を守ることで自然に守られる力です。守護神様から上の神々のみ働きといえます。霊・祖のまもりは和魂の「護り」であり、人が心を乱して道を誤らぬように内面に働きかける力です。これは主に守護霊様のみ働きです。そして祖・人のまもりは荒魂の「衛り」であり、外敵から身をまもるということで、病気や貧乏や争いに巻き込まれないよう荒魂的な体力や知力を付けるという防衛の力です。いわゆる「防衛力」ですが、この力は使い方を誤ると他を傷つけたり争いを生む恐れがあるのでこれからのまもりの中心にはなりません。現段階において最も大切なまもりの力は、和魂の「護り力」すなわち人の心に働きかける守り主のまもり力と言えるでしょう。
さて、このように世の人に先駆けて組手それぞれが自分自身の源流に回帰するとともに、真の道全体としてもそのルーツに回帰することが必要です。真の道の組手はただ漫然と集まってきた烏合の衆ではありません。神の縁によってこの現世に撒かれた真種であり、深い深い神縁によって引き寄せられた先駆け人の集団なのです。今年は真の道としても荒魂の回帰として道主・道母先生のみ祭りが教え主先生によって行われる予定ですし、和魂の回帰として大峰老仙様とその補佐役である梶神霊のみ祭り、また直毘の回帰として六・六うけひには真の道の最高指導神霊である「聖徳太子」のゆかりの地に組手皆様とお参りする計画になっております。どうぞ、これから始まる霊主体従への転換期にあたって、組手の皆様には世人に先駆けて三魂の回帰すなわち「己への帰依」を進めていただき、また、一人でも多くの人々が真の道の具体的な手立てによってその機会を得られますようお導きいただいて、親孝行やお世話になった人への感謝、お墓参り、支部での祖霊祭、守り主・守り神祭を推進していただきますようお願い申し上げます。
また、今年の感謝祭は真の道五十年祭となり月宮で開催されます。月宮はこれから始まる「霊主体従の世」すなわち「和魂の世」の中心となる宮です。おそらくこのみ祭には神霊界からもこれまでのあまたの真の道指導神霊が一同にお出ましになると思われます。またこの1年間のうけひごとで私たち組手の受け器が整えば、ひょっとすると聖徳太子様も一瞬、顔をのぞかれるかも知れません。ぜひぜひ、このまたとない機会に組手の皆様のみならずご家族や隣人の方々も月宮にお連れいただき、貴重なユニワにふれていただきたいとと心から願っております。
最後に、「霊主体従」への転換は人それぞれにも大きな運命の転換を促すものですが、心にやましいことがなければ何も恐れることはありません。一人一人の心の中は外見ではわかりませんので、こればかりはご自身で感じていただくしかありません。
深い心の信頼から自然に発生する「にぎたまの輪」に自分が入っていけるかどうかはご自身次第であり、誰もそれを判断することはできないのです。
今後も皆様とともに「真の道のり」を歩んで参りたいと願っております。
ご静聴ありがとうございました。
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